2015年3月29日日曜日

『3県にまたがって』

揺れたぞ、
沖縄への飛行機。
いつも揺れるけど、
今回はもうアトラクションやったぞ。

そして暑いぞ!笑
ホットアイランドや!

でもなんか落ち着くぞ、
この感じ。

大分、東京、沖縄と
3県またいで活動する数ヶ月。

それぞれの県の
素晴らしいところが
行くたび、離れるたびにわかる。

大分
俺が生まれてから
18年過ごしてきた街。
自然豊かで水も米も野菜も美味しい。
唐揚げ、鶏天ナンバーワン。
別府、湯布院などの湯処が有名。

東京
大都会メトロポリス。
一度は住んでみたい。
春夏笑冬をドラマみたいに過ごしてみたい。
便利でなんでも手に入る桃源郷。

沖縄
あったかい。
のんびりしてる。
たまに無性にたべたくなる沖縄そば。
すぐそこに海がある。
人間にとって大切なことを教えてくれる。

こんなに素晴らしい場所に囲まれ、
そこに住んでいる素晴らしい人に囲まれ、
感謝しかない。

だから、
絶対この思いをカタチにしなきゃ。



2015年3月27日金曜日

『目の当たりにしたオアシス』

松たか子の「明日、春が来たら」を
聞きながら東京行きの電車に
乗っちょん。




昨日ジョージに誘われて、
代々木公園に行った。

初めて行ったが、
都心のど真ん中に
こんな巨大な公園があることに
驚いた。

都会の息苦しい
コンクリートジャングルから
徒歩5分ほどで、
林と呼んでも過言ではない
緑溢れる空間があった。

木漏れ日で写真撮影するグラビアアイドル、
MV撮影するシンガーソングライター、
ボールで遊ぶ若者たち、
日向ぼっこしてるおじさん、
花見をするファミリー、
ただのんびりしてるカップル。

歩きながらジョージがいう。
「シムシティ(街をつくってそこで暮らす人たちを見守るゲーム)で、公園をつくる理由がわかるよなぁ」

つづけて言う。
「(ゲームの世界の)住民から『公園を作ってくれ』って言われて、以前だったらあんまりピンとこなかったけど、こういう都会の公園を見ると、大切だなぁっておもう。田舎に住んでるとそこらじゅうが自然だからあんまりわかんないことだけど(笑)」

自然の中にいる人々の表情は
とても穏やかで、
私はここが東京であることを
一瞬忘れていた。


東京の満開の桜の下で
お花見したかったけど、
まだ2分咲きくらいやった。

来年は絶対、満開の桜の下で
ビールを飲んで「プハーッ!」
といいたい。
充実と平和を喉に流し込みたい。

ジョージが太陽の光を
一身に受けながら、
寝た(笑)


夜、
無性にサラダが食べたくなったので、
自然に感謝しながら食べた。

『こけた話』

昨日は撃鉄vs我如古ファンクラブ
(OA.殺沼蜘蛛助)でした。

殺沼蜘蛛助は丸刈りカットで
手を掲げる姿が
スティーブジョブズに似ていた。

撃鉄はダンサブルでカッコよかった。
天野ジョージはセクシーだ!

平日にも関わらず、
来ていただいたみなさん
本当にありがとうございました!

今日は朝9:00から、
バンドリハがあったので渋谷へ。
新宿からJR湘南新宿ラインに乗って
渋谷へ行こうと思ったが、
乗り込んだ電車が
反対方向だったのことに
気付き、あわてて降りた。

結局その方向の電車を
見つけられず計画変更。
山の手線を使って
渋谷へ行こうとした。

しかし山の手線のホームへ
上がるとお口アングリ。
人で溢れかえっている。

すし詰めになった車内に
身体をねじ込んだものの
奥へ奥へと追いやられた。
渋谷駅に到着したとき
これは降りれないと思い、
「すみません降ります!」
といいながら人をかき分けながら
扉へ急ぐ。
なんとか扉をまたいだ次の瞬間、
ホームの隙間にキャリーバッグがひっかかり、
盛大に、漫画みたいに、
バタンとこけた。

前を歩いていたサラリーマンに
キャリーケースが当たったので、
「すみません大丈夫ですか!」
と謝ったらコクリと頷いて去っていった。

起き上がりまた歩き出した。

そしてミルキーウェイに
なんとか到着した。

無事たどり着いてよかった。
遅れてごめんなさい。

2015年3月25日水曜日

『姿勢矯正のススメ』

視野が上に行くと何が変わるか。

人と目が合うようになった。
もっというと、
人の目を見て話すようになった。

これも始めは慣れなかった。

日本人は諸外国のように
じっと目を見て話す文化ではない。

私も生まれて20年以上も
じっと目を見て話す行為を
してこなかったので、
未だに少し恥ずかしいが、
でも、
目を見て話すと
相手が何を考えているのか
読み取りやすいという利点が
あることに気づいた。

「目は口ほどに物を言う」
ということわざがあるように、
目を観察すれば、
眼球の動きや瞬きの回数、
さらに顔全体の微妙な動きで
その人がいまどういう感情を
抱いて会話しているか
読み取ることができる。

さらにこの方法で
先手を打って相手に
好印象を与えることもできる。

まずは手始めに
カフェやレストランの店員などで
試していただきたい。

注文するときに顔を上げて
ちゃんと目を見て
注文していただきたい。
始めは恥ずかしくて
声が小さくなるかもしれないが
それでも大丈夫。

いずれ慣れるから。
目を見て微笑みを加えながら、
しっかりとした声量で
注文することが可能になる。

するとあなたは
店員の表情変化に気付く。
しっかり目を見るということは
「自分のことをしっかり
見て(聴いて)くれている」
という安心感を相手に与える。

そりゃ店員も人間ですから
うつむいてボソッとぶっきら棒に
言われるより、
しっかりと目を見て
注文してくれる方が
うれしいはず。

つまりなにが言いたいかというと
ほんのちょっとしたことで
店員の気持ちを
コントロールできたのです。

これを日常的に
ゲーム感覚で行う今日この頃。

相手がどう感じたかを察知できれば、
相手の求めるものを差し伸べることができる。


ちょっと話は逸れたけど、
ただ姿勢を正しただけで、
今まで思いもつかなかったことが
目の前に飛び込んできた。

思考は以前より絶対ポジティブになった。

とはいうものの
私もまだ気を抜くと
すぐ猫背になってしまうので、
意識的に姿勢をきおつける日々である。

猫背のひとは
「自分猫背だから」と言わずに、
1日でもいいから背中をまっすぐして
過ごしてみてほしい。

姿勢はキツイけど、
見える世界が変わる。

姿勢矯正のススメ。

2015年3月24日火曜日

『猫背のおとこ』

昨日ちらっと見た本の中に
「お金は空気のようなものだ」
と書いていた。

いつでもそこにあるのに
意識していないだけ。

また別の本には
「幸運はそこら中にあるのに気付いていないだけだ」
と書いていた。

自分が何気なく手に取る本は
不思議なことに、
そのときに最も自分が必要としている情報が書かれているものだ。
提示されたものが重要だと
気付くかどうかが分かれ道。

チャンスもピンチもいつだって
目の前にあるんだ。

だからまっすぐ前を見なければ
いけないと最近つくづく感じる。

私は幼い頃からひどい猫背だ。

ずっと母親から
「背中が丸いからまっすぐしろ」
といわれ続けてきた。

成長期も姿勢が悪かったため
骨格も歪み、肩甲骨を背負うような
姿勢になってしまった。

最近になって
本気で猫背を治したいと
思うようになった。

立ち読みした本に
「姿勢が変われば思考も変わる」
と書かれていた。

「猫背は首に負担がかかり
脳への血流が悪くなるので
思考能力が低下する」
というような内容が書かれていた。

そりゃ大変だ。
人間は脳の数%しか使えてない
と聞いたことがあるから、
さらにそこから昨日が低下したら
バカになってしまう。

あともうひとつ、
変えたい理由が自分自身にある。
それは、
見た目(第一印象)が悪いのだ。

私は自分を写真や動画で
撮影するようになって
身だしなみに
きおつけるようになった。

猫背は相手に対し、
弱々しい、暗い不健康そうな
印象を与える。

だから私は猫背を
本気で治そうと努力している。

デスクワーク中も、
バイク運転中も、
バイト中も意識して
猫背にならないように心がけている。

最初の方はキツかった。
なにせ前述したように
骨格が変形しているので、
まっすぐすること自体が
不自然な体勢なのだ。

最近は慣れてきて、
少しづつではあるが、
姿勢が変わってきたことを
実感できる。

するとまず何が変わったか。
一番変わったことは視野だ。

今までは、
アスファルトや車のタイヤ、
人の腰やズボンを
見ながら歩いていたが、
姿勢がよくなっていくにつれて
目線が上に行き、
人の目を見るようになった。
ビルの窓を見るようになった。
空に浮かぶ雲を見るようになった。

これは私の思考プロセスを
少しづつ変えていった。

脳への血流は良くなったかは
調べてないので定かではないが、
ポジティブな思考を生み出す要素
であることは間違いないと実感した。

つづく。




『気付かないうちに順応』

人間は環境に順応していく生き物だ。
悲しいくらいに。
どういう人間と付き合うか。
どういう仕事をするかによって、
その人の人格がきまっていく。

立場がその人を作り、
環境がその人を形成していく。

空港で偶然、
大学時代の後輩にあった。
久しぶりに会った彼女は、
以前の朴訥な印象は消え去り、
濃いめの化粧に高いヒールの
派手な姿に変貌していた。


彼女に興味を持ったので、
話を聞かせてもらった。


昼のバイトをしていたが、
ほんのすこしの興味と
高時給の魅力始めた夜の仕事。
はじめはガールズバーだった。
しかしお店の人の勧められ、
高級ラウンジで働くことになる。
そこで知り合った40代のお客さんに、
ご飯に誘われる。
旅費はすべて出すと言われたので、
ご飯を食べるために、
飛行機に乗って、
これから会いに行くという。


本人はこういう。


「学費のために、
時給の高い夜の仕事をしている。
と。
 

私は
「ちゃんと新しい下着を履いたのか?
とふざけて聞いた。




自分がどういう人間に
なりたいのかを
日々イメージしなければ、
社会の(誰かの)イメージの中の一人に
なってしまう。


色んな生き方があっていいと思う。

ただひとついえることは
自分の人生なんだから、
自分の幸せを考えて生きることが
大切だと思う。

自分が幸せだと思えるのなら、
それが何よりだと思う。

2015年3月23日月曜日

『ふわっと』

PM2.5なのか黄砂なのか不明だが、
20m先が霞んでみえない。
環境汚染が深刻化している。

ニュースでは、
「なるべく外出は控えましょう」
とアナウンスされる。
田舎の美味しい空気は、
もう吸えないのだろうか。


朝は犬を洗った。



ドライヤーで乾かそうとするとら、そ
顔を突っ伏して嫌がる。

かわいい。

2015年3月21日土曜日

『さらば愛しの大分駅』

遡ること4日前。
club SPOTに向かうため、
新しくなった大分駅に着いた私。
府内中央口への新道が
できていたので、
そこを通ってトキワの通りに
出ようとテクテク歩いた。

そこで目にした光景は、
私の想像を遥かに超えたものだった。

かつて私が青春時代を過ごした
駅の姿は跡形もなく、
目の前には
コンクリートの広場が
壮大に広がっていた。

一瞬、
「ここはどこだ?」状態になり、
身体の力が抜けてしまった。

緑が敷き詰められた
駅前広場はなくなり、
福岡駅のような
広々としたスペース。
高層化した駅ビルは、
無機質に佇んでいた。

センチメンタルな気分に
なりながら、
トボトボ歩いた。

ま〜わる〜まわる〜よ♪
時代はまわる〜♪

と中島みゆきの曲を
口ずさみながら、
少し泣いた。

私がいない9年の間に
街は驚くべき変貌を遂げた。

立ち止まってる場合ではない、
感傷的になってる場合ではない。

過去にとらわれず、
前進することが大切。

向上心という言葉を
つぶやきながら。


2015年3月19日木曜日

『ジャイコナイト大分』

3月17日(火)
ジャイコナイト大分が
club SPOTで行われるイベントに
出演するということで、
遊びにいってきました。

「club」と聞いたので
ワイシャツネクタイの正装で
ビシッと決めていざ出陣。

しかしいってみると、
地下のいわゆるライブハウス。

中に入るとみんなTシャツに
首からタオルをかけている。


おやおや?と考えてたら、
アキヲくんがDJブースに登り、
ジャイコナイト大分がはじまる。

アキヲくんが初めにかけた曲は、
なんと「我如古秘宝館」

しょっぱなから
吹き出してしまった。
粋なことしてくれます。

3曲目が終わったくらいで
友人まこちんが到着。

まこちんはテレフォンズの
サッカーユニフォームのTシャツを
身にまとっていた。

曲が進むにつれて、
お客さんも盛り上がっていく。
ステージではみかんちゃんが
大胆な踊りを披露し、
会場を盛り上げる。

みかんちゃんが
「Oi」と書かれたプラカードを
掲げると、オーディエンスは
「オイ!オイ!オイ!オイ!」
と激しく合いの手を打つ。

「飛べ」というプラカードを
掲げると、みんな飛んだ。

その楽しそうな光景を観て、
いてもたってもいられず、
私も一緒に踊った。

常連のお客さんの中に混ざって、
ジャンプしたり、
円になって走り回った。

初めての体験だったけど、
汗びっしょりかいて
超楽しかった。

ジャイコナイト大分の後は、
3つのバンドが出演した。

そのどれもが
うまいし、カッコイイし、
盛り上がった。

出演バンドが
予想外に盛り上がってる
お客さんを観て驚いていた。

私はここでハッとした。


ジャイコナイト大分が
お客さんの心と身体を
ほぐしたんだ。

今日は音楽を聴いて
踊って騒いでいいんだよって
空気を作ったんだ。

だからバンドにとっては
これ以上ないくらい
会場はあたたまっていて、
演者とリスナーとの
壁みたいなものが取っ払われて
たんじゃないかな。

それを成し得た
ジャイコナイト大分の偉業は
素晴らしい。

アキヲくんとみかんちゃんと
パシャリ!

今度はジャイコナイト主催の
イベントに行きたいです。

2015年3月17日火曜日

『片付けの産物』


実家にいる間、
部屋の片付けをしています。
たくさんの懐かしいものが
出てきました。


まずこちら。
「舵(かじ)」です。
船の方向を変えるために
使うハンドルです。
なぜ部屋にあるのでしょうか。


続いて「大量のぺらぺらネクタイ
決して趣味がいいとは言えない
派手でガラガラで
ぺらぺらのネクタイ。
ブランドをもじったロゴが
入っていたりととにかく怪しい。


かつてTVの録画というものは
全てVHSに記録していました。
そしてラベルに番組名を
書いていました。
いつ貼ったのか定かではないが、
「DORAEMON」の文字を発見。
なぜこんなにサイコなのか。
当時の自分が何考えてるのか
分からなくなった。


13歳のときに描いた絵が出てきた。
なんだこのサイケな模様は。
ポスターカラーで絵を描くという
授業だったと思う。
そしてこれは椿だったと思う。
なぜこんな不安な感じに
仕上がったのかは
当時の私に聞かなければ謎。

あと図書券が1500円分出てきた。
これは嬉しい!

片付けることで
部屋がスッキリして
思考もスッキリするんだ。

頑張って片付け続けます!


2015年3月15日日曜日

『ご飯は時間のかかるもの』

お金を払えば
なんでも食べることができる
世の中です。

100円でチョコが食べれるし
200円でケーキが食べれるし
400円で牛丼が食べれる。

誰でも食べることができます。

便利な世の中なので、
「あー今日はもうクタクタだから
コンビニの弁当で済ませよう」
とか
「カップラーメンで済ませよう」
となっても、それらは
とっても美味しいです。
満足できる美味しさなのです。
そういう便利な食べ物が
そこらじゅうに溢れていて、
みんなも私もパクパク食べます。


5袋350円のレトルトカレーや
油も水もいらない冷凍餃子、
レンジでチンする150円の1人用コンビニ惣菜。

これらは本当に美味しいのです。
美味しいし安いから、
明日もまた
「クタクタだから」
と買って食べてしまいます。

少し考えました。

なんでこんな便利な食べ物が
こんなに安いんだろう。

製造過程の効率化、
原料の低コスト化など、
様々な企業努力が
そこにはあるはずです。

科学文明の力が
食べ物を長持ちさせ、
いつでもどれだけでも
食べ物にありつけるように
なりました。

しかし、

料理をしたことのある人なら
わかると思いますが、
本来ご飯を食べるためには
それなりの時間がかかります。

材料を買ってきて、
皮をむいたり切ったりして、
フライパンを温めて、
順番に炒めて、
調味料を入れて、
やっと食べられる状態になります。

この過程を全てすっ飛ばして、
「温めれば」出来上がったり、
「お湯を入れて3分で」
出来上がったりする食べ物は、
その時間を全て省いてくれます。

時間というものは
とても大切なので、
節約しようとすると
お金がかかります。

例えば目的地に早く行きたいとき
バスや電車を使うより
タクシーを使いますよね?

タクシーは、バスや電車の
倍以上ものお金がかかります。

その短縮できた時間を
お金で買っていることになります。

話は食べ物に戻ります。
例えばカレーが食べたいとします。

まずルーや野菜や肉を買って、
材料を切って、
炒めて、煮込んで、
やっと出来上がりです。
2時間はかかるでしょう。

それに対して、
レトルトカレーは
お湯で3分温めれば
出来上がりです。

しかし、レトルトカレーは
高くないのです。
それは手作りのカレーの方が
材料の選び方次第で
いくらでも安くはなりますが、
それにしてもレトルトカレーは
一袋80円ほどで食べれるのです。

時間は40分の1に短縮しているのに、
レトルトカレーは安いのです。

タクシーと同様に考えれば
こんなに時間が短縮できるものは
1袋500円くらいでもいいはずです。

何が言いたいかというと
「ご飯は時間がかかるもの」
だということを
知っておくことが大事です。

もちろん私もレトルトは
たくさん食べますし、
カップラーメンも大好きです。

ただ、そもそも、
ご飯は食べるまでに
時間がかかるものなんです。

かつては獲物を捕らえなければ
ご飯にありつけなかったのです。

我々は手を血で汚さずに
肉にありつけ、
靴を泥で汚さずに
野菜にありつけているのですから
それなりの代償はあることを
理解しておく必要があります。

だからたまの休日に
ゆっくり料理して
ゆっくりご飯を食べてみては
いかがでしょうか。

私はロハス派でも
自然保護団体でも
ありません。

ご飯を食べられる感謝が常にあれば、
自然と健康も維持できると
考えています。

新作カップラーメン
の試し買いはやめられないし、
飲み会後のラーメンも、
居酒屋での軟骨唐揚げも、
やめられません。

ただ知っておくと
自分でセーブします。

あ、これじゃマズイぞ!
って。

だから知ることって大事です。

「ご飯は時間のかかるもの」



『vs夙川ボーイズ@下北シェルター』

和光市で物販の整理をして
下北シェルターへ。

今日はいつも大変お世話になってる
N’夙川ボーイズとの2マン。

夙川の3人は応援してくれてる気持ちを
フルパワーでライブにぶつけてくれた。
胸が熱くなった。

2015年3月12日木曜日

『全然慣れないもんだね。別れの季節ってのは』

その感情を忘れてはならない。

人間は、
辛いことや悔しいこと、悲しいことを、
忘れることができるから
気持ちを新たにして生きていける。

しかし向上心を持ち続けるためには
この辛い経験たちを噛み締めながら、
生きていかなければならない。

「臥薪嘗胆」という言葉を高校のときに学んだ。
父の仇を誓った男が復讐心を忘れないために
硬い薪(まき)の上で寝て、
苦い胆(きも)を吊るして毎日嘗(な)めて、
自身を鼓舞し続けたという話に由来する。

多少のことでは凹まない私も
まれに打ちのめされて
立ち上がれなくなるときがある。
そんな未曾有の体験を食らったとき、
しばしばこの言葉を思い出す。



頭ではわかっているはずなのに、
なんども繰り返し経験してきた過ちのはずなのに、
身体の奥の方が痛む。

まだ科学では解明されていないことが
この世にはたくさんあるのだが、
「こころ」はそのひとつだと思う。

他人の相談にはあんなに客観的に
意見を述べることができるのに、
いざ当事者になると、
私も人間だ、感情の生き物だ。

動機は激しくなり、口が乾き、
頭に血が上って、
これでもかというくらい
汚い言葉をまくしたてる。

こんなこと言っても無駄だろとわかっていても、
気持ちが収まらないから気が済むまでいうのだ。

そしてものすごいスピードで冷めて、
虚しくなる。

でも最後の最後に挨拶できない人間は
クソだと思ってるから、
どんなにひどいことされても、
どんな感情が渦巻いていたとしても、
「ありがとう」というように決めてる。

だって
全ては経験。
どんなクソみたいなことでも
自分の糧になったと思えば、
その経験をさせてくれた人に
一握の感謝も生まれるだろう。
生まれなかったとしても、
皮肉たっぷりに言ってあげることにしてる。

そうやって心のバランスをとりゃいいんだ。
なぁに気にすることはない。
時がすべて解決するさ。
悲しいくらい残酷に。

2015年3月10日火曜日

MAGIC!『No Way No』MVについて

「Rude」の大ヒットでおなじみMAGIC!


「Rude」も入ったアルバム「DON'T KILL THE MAGIC」

このアルバムにも入っている「No Way No」のMVが最近発表されていた。
レゲェの陽気な雰囲気に
ダークでアダルトな魅力をビンビン感じるMAGICらしい楽曲。
映像もカラフルなはずなのにノスタルジック。
この質感好きだー。
またヒロインのキャラクターも好きだ。


一目惚れした女性をあの手この手で口説いていくのだが、
なかなか振り向いてくれない。
押したり引いたりの攻防が見ていてドキドキする。
個人的にグッときたシーンは3:03のところ。

優しくて口説いていた彼が
急に彼女の手を引っ張ってカメラ奥に歩き出す。

一連の長い駆け引きがここで突然急展開を迎える。
ラストのハッピーエンドに向かって進むトリガーとなる重要なシーンを
こうもあっさりとクールに、かつセクシーに表現するなんてお見それしました。

あーかっこいいわ!

2015年3月8日日曜日

『センチメンタル東京』

あしおハウスに別れを告げる。
毎日の一瞬一瞬が
手のひらからこぼれ落ちる砂のように
悲しいほどあっという間に過ぎ去っていく。

この街にいると、
「センチメンタル」なんて言葉さえも、
雑踏に踏みつぶされそうだ。

この旅で改めて感じたこと。
人の温かさ、東京の雨の冷たさ、
時間の大切さ、孤独との付き合い方、
Suicaの便利さ、松屋の美味さ、
東京女子のメイクの上手さ、
スクランブル交差点で聞く
テクノミュージックの気持ち良さ。

2015年3月6日金曜日

『あしおハウス』

ふじさわに別れを告げ、
向かったのは稲城長沼駅。

東京なのに駅周辺は真っ暗。
地元のローカル線の駅前を思い出した。
「グルメシティいなぎ」で、
カップラーメンや弁当を購入。

そして「あしおハウス」到着!
ボードゲームの主催イベントも開催するおしお。
所狭しと並べられたボードゲーム。

→あしおがドミノピザを注文してくれた。
久しぶりのピザはマジでうまかった。

ごちそうさまでした。
おやすみなさい!

『吉祥寺→渋谷』

2015.2.2
ライブ明けの吉祥寺の朝は清々しい青空だった。
富士そばで腹ごしらえ。
たくみにしばしの別れを告げ渋谷へ。
ハチ公前でふじさわと待ち合わせていて、
向かうと、彼はTVのインタビューを受けていた。
さすが東京。田舎だったら絶対遭遇しない状況だ。
お互い全く金がないので、
渋谷センター街のマックで、
コーヒーを飲みながらいろんなことを話した。
時間があるときに、話せる人とたくさん話しとこうと思った。
生を重ねるたびに、一番かけがえのないものは時間だと感じる。
こればっかりはどうしようもないものだ。

今回、2/2〜5くらいはバイトしようと思いよったけど、
うまく仕事が見つからなかったことで、
逆にいろんな人と話す時間が作れた。
働かないとお金がピンチなのはもちろんそうなのだけど、
最近は「カイジ」の気分なのだ。

地下チンチロの勝利で、
1週間だけ地上に出ることを許されたカイジは、
遊ぶでもなく、働くでもなく、
一発逆転の可能性に挑戦するのだ。
さらにリスクを負って、
今の現状を打開するためだけに、
一か八か一週間の全てを費やす。

目標はただ一つ。
巨大パチンコ「沼」の攻略なのだ。
はたから見れば、絵空事のドンキホーテ。
でもカイジは限られた時間の中で、
勝てる方法を必死で探す。
全身全霊、己の人生をかけて。
勝てなければ、またあの地下生活に逆戻りなのだ。
つらく長い過酷な労働が死ぬまで続くのだ。
カイジは臥薪嘗胆の念で、
手段を選ばずに突き進んでゆく。

カイジと自分を重ねる。
成功しなければ、非正規雇用のなんの保証もつかない
バイト生活が一生続く。
道を切り開くべく、
自分にとっての「沼」を探す。
限られた時間の中で、
どんな自由な発想(想像)ができるか。
そしてすぐに行動できるか。
正念場の数ヶ月だ。
燃えてるんだ。
ワクワクしてるんだ。
毎日楽しいことしかないっす。