2016年9月19日月曜日

これまでのあらすじ

ここで2016年の松野ムネタカの時系列を整理しようと思う。


4月  ココストア閉店。バイト辞める。
5月  大家さんのリフォームを手伝う。
6月  瀬底島でお別れパーティ。
7月  台湾1ヶ月半行く。
8月  宮古島に行く。大分に一時帰省。
9月  沖縄に戻る。


4月にバイト辞めてから、沖縄でのアルバイト生活に区切りをつけた私は、沖縄生活10年目の節目に思い切って地元である大分に帰ろうと決心した。

地元に戻り母と暮らしながら再スタートしよう、などと考えていた。荷物も生活するための必要最低限のものを除き、全て実家に送った。

大家さんにリフォームのお手伝いを頼まれていたので、それが終わり次第大分に帰る予定だった。

リフォームは約2ヶ月にも及んだ。屋根の防水、壁板の張り替え、ペンキの塗り替え、キッチン新設、ドアを作る、などなど、技術者の指導のもと、ありとあらゆる工作を行った。

リフォームも終わりに近づいたので、沖縄でお世話になった皆さんに連絡し、挨拶をしていた。

そんな矢先、サックスの千葉さんが「最後に松野のお別れパーティをしよう」と言ってくれた。

以前、瀬底島でライブパーティをしたことがあり、千葉さんは瀬底島の皆さんにも声をかけてくれた。こうして開かれた瀬底島でのパーティ、島民の方や、私のことを知らない人もたくさん来てくれた。

パーティも終わる頃、来てくれた人にお礼の挨拶をしていると、1人の大学教授と出会った。その方は、私が住む宜野湾市で日本語学校を経営していると教えてくれた。

その学校は、私が住む家からバイクで10分ほどの場所だった。「一度来なさい」と初対面の私を誘ってくれたので、数日後、リフォームの休日に学校に訪問してみた。そこで2週間ほど書類整理の業務を手伝った。

ある日教授に、「台湾へ1ヶ月半行く?」と言われた。海外に行ってみたいとかねがね思っていたので、すぐに行くことが決まった。

7月6日から8月20日までの約1ヶ月半、台湾の幼稚園で日本語を教えた。卒園式を終えた翌日の8月21日に那覇に帰国した。

さらに翌日22日の朝、宮古島に飛び、台湾の高校生と26日までリーダー研修に参加。

26日の午前中沖縄に戻り、3日ほど滞在した後、29日の飛行機で大分の実家に帰省。母は私がやっと10年ぶりに大分に住みはじめると思い涙を流したが、再び沖縄に戻ることを決意したと伝えるとがっくり肩を落としていた。10日ほど滞在し、その間、家を掃除したり、母と美味しいものを食べに行ったりした。


あだちんにもあって、色々話した。

9月8日、博多駅でわたゆうとも会うことができた。


沖縄に戻ると、倉庫を改造して住めるようにした。大家さんと店長とゆうじと伊波さんが手伝ってくれた。2日間のリフォームを終えると、倉庫は見違えるほど住みやすい部屋に変わった。



こうして、私の第二の沖縄での生活が始まった。


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