2017年1月19日木曜日

お葬式4


1月13日

19:30
通夜が終わり、久しぶりの再会を祝してモッくんと一杯飲みにいこうと思い西宮のおばちゃんに出かけてもいいか聞くと「行ってらっしゃい。でも今日はあくまでもおばぁちゃんのために集まったということを忘れないようにしてくださいね」と澄ました顔で言ってきたので「そんなことはわかってますよ」とサラリと言い返して葬儀場を出た。一瞬で人を不快にさせる才能を持ってるのよね、すごいよこの人。

歩いて5分ほどの鉄板焼き屋で、通夜の話を肴に生ビールで乾杯。

どんな仕事をしてるのとか、東京の生活はどうなのかとか聞いた。モッくんも私もすでに父を亡くしていることやまだ結婚してないことなど、目に見えない共通点みたいなものがあって、話してて心地よかった。

「大沢たかおに似てるよね」と言ったら「初めて言われた」とモッくん。「でもいつも、ウーマンラッシュアワーの村本に似てると言われる」の言葉に共感しすぎて大笑いした。

モッくんは尼崎のホテルに行ったので、私はおなじみの双葉温泉へ。
1日の疲れがお湯に溶けていく・・・。極寒の中で入る露天風呂は格別だ。

小3くらいの小太りの男の子と金髪でファンキーな雰囲気の50代のおじさんが横で話している。

「あーせん、あんな、日本の飛行機、世界で一番やろ?」
「ちゃうで。」
「なんで?」
「一番はアメリカや。」
「アメリカ?」
「日本には、零戦ゆう世界一の飛行機があったんやけどな・・・アメリカの飛行機の方が強かったんや。」
「そうなん」
「日本は戦争に負けたから何十年も飛行機作れんようになったんや。」
「え。」
「飛行機が作れなくなった川崎重工や日立はどうしたかゆうと、新幹線作ったんや。せやから日本の新幹線は世界一やねん。」
「あーせん、プラモデルは?」
「ん?プラモデル?」
「プラモデルの飛行機もダメなん?作ったらあかんの?」
「プラモデルの飛行機はええやろ。おもちゃやん。おもちゃはええねん。」


「あーせん」とは、このおじさんの名称らしい。日本の新幹線の製造技術が発達した経緯を西宮の温泉で学べるとはなんとも得した気分だ。

風呂上がりにコーヒー牛乳という名の麻薬をキュッと流し込み、数年に一度の大寒波を肌に感じながら、葬儀場に戻った。

しかしホテルみたいに綺麗な葬儀場だ。フカフカの布団で、沖縄の家よりもぐっすり寝た。おばぁちゃんありがとう。

つづく







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