2017年1月21日土曜日

お葬式6

葬式というものは不思議なものだ。喪主なんて誰でも一生に一度くらいのもので、みんなど素人だ。


そんな不安な気持ちでいっぱいの喪主に、付きっ切りでアドバイスしてくれるのが、葬儀屋の担当スタッフだ。


今回担当してくれたのは、麒麟の川島の顔色を最高に悪くして、さらに目の周りににたっぷりアイシャドウを施したような顔のひとだった。(以下、川さん(仮名)とする)


テンパったり、無理難題をいい出したり、こだわり出したら時間を気にせず突き詰める、最強クラスに面倒臭さい西宮のおばさんにもとても丁寧に対応してくれた。


ときおり見せる川さんの生気のない笑い顔は死神にみえた。


本当に死神がいるとしたら、いつも死を見てるから、死体見ても何も思わないだろう。川さんもそんな目をしてたからプロだな、と思った。



結婚式のウェディングプランナーやエスコートも似たような疲れ具合の表情をしている。(私は披露宴会場で4〜5年ビデオカメラマンのアルバイトしていたので結婚式には詳しい)




生を祝う現場も死を弔う現場も、「エネルギー」と「気」を使う現場だ。


そういえば、私の父の葬儀のとき、喪主の私に色々お世話してくれた葬儀屋のおじさんの顔を今でも覚えている。ゲゲゲのキタロウに出てくる丸顔メガネのおっさんにそっくりだった。


話は戻るが、この川さんで本当に良かったと思った。


西宮のおばさんが供花の角度が気にくわなくて15分くらい微調整したときも、一生懸命付き合ってくれた。


12:00
親族みんなで集合写真を撮る。

西宮のおばさん
「これ、笑っていいんですか?(葬式だから)笑うのもなんか違うと思うんやけど、笑っていいんですか?」

しつこく、何度も、苦笑いするカメラマンに聞いていた。

あなたの発言で笑ってしまいますからやめてください(笑)


思い出した。
これは「絶対に笑ってはいけない葬式24時」だということを・・・


「少しね、少し微笑んでください」というカメラマンの返事に納得して写真を無事撮り終える。


12:30
参列者が全員揃い、川さんの声が会場に響き渡る。

「これよりぃ、マトゥノぅ、トゥメすぁまのぅ、ご葬儀をぅ、始めさせてぃいただきますぅ」


川さんはサ行とタ行の発音がすこぶる悪い。


「おしょうにんさまぁ・・・ごにゅうじょうですっ!」



なにこのリングコールみたいなアナウンス。


昨日より着飾ったお上人さんが、昨日より低速でヨタヨタと歩いてきた。




あかん!モッくん、もうちょっと笑ってるやん!
こっちみないで!つられて笑っちゃう!




お経が始まった。


また清ちゃんが話している。88歳にもなると何事にも動じなくなるのだろうか。たとえ葬式だろうがなんだろうが、話したいときに話す。それとも昔からこの方は自由に生きてきたのだろうか。そんなことを考えているうちに焼香の順番が回ってきた。



全員が焼香を終えた。



「続きますぃてぇ」


だからそのリングコールみたいな言い方やめて!


「皆様の手でお花を入れていただきます」


すると、スタンバイしていた花屋のお兄さん2人が出てきて、慣れた動きで供花をスポスポ抜いていく。


そのお花を葬儀屋のスタッフがカゴに入れて、参列者に渡す。


参列者は最後のお別れとして、顔を拝みながら花を棺桶に置いていく。


花で埋め尽くされた棺桶。おばぁちゃんの顔だけポコっと出てる。


みんな「綺麗だ」と言っていた。


確かに、和洋入り混じる色とりどりの花で埋め尽くされた棺桶は美しい。



ふと、自分の葬式はどのようにしたいかなと考えてみた。



花を棺桶にギッシリ詰めてほしいとも思わないし、このよくわからないお経にみんなを付き合わせたくもない。


「楽しくしたい」と思った。



こんなことをいうのもどうかと思うが、この「悲しみ続けなきゃいけない」みたいな雰囲気がどうも苦手。そりゃ人が死んだらもちろんとても悲しい。でもこの形式的に「さぁここで悲しんで下さい」「ここ1番悲しむところですよ」みたいなのって、下手な演出の映画を見させられているようで滑稽に感じる。


結婚式もそうなんだけど、「形式」が一人歩きして、「本質」が見えていないものをみると、なんともモヤモヤした気持ちになる。


とはいっても、やはり「形式」があると安心できるから、みんなそのように行うのもわかる。考えなくていいからね。


だから、私の葬式を私自身でプロデュースするなら、お経は5分にして、あとは、思い出を語るなり、好きにパーティしてくれたらいいと思う。遺体は燃やして、骨は砕いて、柚子の木の下にでも撒いてほしい。そして欲を言えば、毎年その柚子で柚子風呂にでも入ってほしい。


そのとき、信頼できるスタッフが必要だと思った。それは親族だ。子であり孫である。



彼らがたくさんいてくれるほど盛り上がる。


だから、たくさん子供を作って、子孫を残そうと思った。






私の母はいつも「死んだら骨を粉々にして海に撒いて欲しい」という。私の母の弟も「死んだら畑に撒いてほしい」という。


そういうことを聞いてきたから、私もそう思うようになったのかもしれない。また考え方は変わるかもしれないけどいまのところはそう思っている。


つづく


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