2017年1月28日土曜日

お葬式8(終)

16:30
小さくなったおばぁちゃんと初七日を行うため、三たび葬儀場に戻る。

先ほどみんなで弁当を食べた部屋が、初七日を行う会場へと早変わりしていた。


お上人さんがまだ到着してなかったので、横一列に並んだ椅子に腰掛けて親族一同待つことになった。

隣に座ってた人に話しかけて見た。神田さん(仮名)は、シニアサポートセンターという人材派遣会社の人だ。去年の夏に西宮に来たときに挨拶した覚えがある。細身でショートヘア、そして謙虚な佇まい。40台後半くらいだと思う。


人材派遣会社の人は本来現場には関わらないのだが、時間を見つけては、ボランティアでおばぁちゃんの面倒を見てくれたとても優しい方だ。




おばぁちゃんがお世話になったお礼を述べて、世間話をした。



モッくんも交えて音楽の話をした。高校生の息子の影響で「ONEOKROCK」なども知っている神田さん。




私が昔バンドしてメジャーデビューを目指していたことを話すと感心を示してくれた。私が東京でライブしたとき、実はモッくんは、1度見に来てくれたことがある。









「お経も『曲』なんだと思いました」







この数日間、お経を聴き続けて私が感じたことを、2人に話すことにした。





通夜と葬式のお経は長くて、30分くらいある。じっくり聞いてみると、お経も曲のように「流れ」があることがわかった。


はじめの方は「今から私が〇〇さんの霊を成仏させるためにお経を唱えます」的なことを言ってるんだと思う。




つまりアーティストがライブの始めにいう「みんな今日は来てくれてありがとう〜!それでは、聞いてくださいっ『For you』」的な部分だろう。





口上を述べたあと、ハラハラと経典を開いて、お経が始まる。





はじめは、木魚も叩かずにリズムレスで、ビブラートを聞かせて読む。





一通り読み終えると、木魚がキンキン入ってくる。ここでキンキンと表現するのは、日蓮宗の木魚は私が知っている丸っこいそれとは違い、円形の木の塊みたいなものを叩くので、キンキン高い音がする。「木鉦(もくしょう)」というらしい。これは結構耳に触る嫌いな音だった。分かりやすく図にしてみた。





話は戻るが、つまりここで、
リズムが入ってくるのだ。






J-popで例えるなら、
ORANGE RANGEの「花」の冒頭、「花びらの〜ように散り行く中で〜夢みたいに〜君に出会えた奇跡〜(略)」が終わって、楽器隊がドカンと入ってくるあの感じだ。






リズムが入ると、お経もノッてくる。スピード感もでてくる。




始めは「キンキンキンキン」とインテンポの8ビートが続くのだが、10分ぐらいすると、「キンキンキキンキンキキン」みたいな変拍子が入ってくる。





Bメロで曲の雰囲気を変えるのもJ-popぽい。







そのあと、あの有名なフレーズ「南無妙法蓮華経」を延々と繰り返す。





サビだ。





このパートになると必ず、西宮のおばちゃんは、お上人さんと同じくらい大きな声で「南無妙法蓮華経」を一緒に唱える。






リフレインだ。






例えるなら、
ケツメイシの「サクラ」の「ヒュルリーラ〜ヒュルリーラ〜」や、チャゲ&飛鳥の「YEAH YEAH〜」の部分だろう。







延々繰り返される「南無妙法蓮華経」は、言葉の意味などとは違った次元の世界に我々を誘おうとする。






アーティストのライブ映像をみるたび、私が感じていた違和感はこれだった。たくさんの人々が集まって同じ歌を聴いて歌う光景って「宗教」っぽい。





歌ってすごい・・・。





リフレインが終わると、再び通常の8ビートのお経に戻る。





最後は、始めと同様、木鉦なしでビブラートを聞かせながら読み上げる。




これはアーティストがライブで、曲の最後をリッドして(徐々にスピードを落として)歌い上げて終わるそれと同じだ。




なるほど、
お経という何百年も前から存在するものに、現代のポップソングに共通する「流れ」があるとは、驚きだった。




つまり、「物事の本質的なことは変わらない」ということだ。今も昔も。どんなに世の中が変わったとしても。




全然お上人さんが来ないので、この「お経、実は『曲』説」を神田さんとモッくんに熱弁した。




2人とも笑いながら聞いてくれた。優しい。




待つこと30分。
17:00
お上人さんが到着。よろよろ歩いて仏壇の前で一礼する。






さて、「初七日」というライブがこれから始まる・・・。





おわり


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