2015年8月25日火曜日

実写版『進撃の巨人』観よう

先週『進撃の巨人』を観た。

2015.8.17(金)
ソニックに乗って大分駅から博多駅へ。
到着して時計を見ると16:05。
20:00の飛行機だったので、まだまだ時間がある。

「そうだ、映画見れるかな?」と思い、最寄りの映画館を検索。
キャナルで『進撃の巨人』がやってるじゃないか!

先日大分県立美術館で「進撃の巨人展」を観に行ったからタイムリーだ。
よし、これに決めた!時間は・・・?

「16:20」

なんだって!あと20分しかない!

すぐにグーグルマップでキャナルまで徒歩何分か検索。

「所要時間20分」

お〜!なんてこったい!

20秒ほど真剣に考えたが、
何とかなることを信じてタクシー乗り場まで走り始めた。

タクシー乗り場には、乗車を案内するおねぇさんがいた。
「前からどうぞ」といわれ、飛び乗った。

7分ほどでキャナルに到着。
650円だったので700円を吟味台に置いて、建物の中に飛び込んだ。

エレベーターで4階へ。
センターウォークへ走る。
キャナルシティの建物は奇妙な形をしていて、
何度か来たことはあるが来る度に迷子になる。
映画館への矢印を頼りに、
アジア人観光客をかき分けて一目散に走る。

チケット売り場が空いていたのが救いだった。
なんとか滑り込んで間に合った。

予告編も観たい派なので、
予告編に間に合ったのは嬉しかった。

前から3番目の席で観た。

私の悪い癖だ。
前置きが長い。

というわけで本編の感想はまた明日!

2015年8月22日土曜日

篠原ともえ『クルクルミラクル』

FMの「Challenge Stories」という番組に篠原ともえさんがゲスト出演していた。
http://www.tfm.co.jp/challenge/onair/detail.php?id=23



デビューから現在までを話していた。


若干16歳でデビューし、
独特のファッションと面白いキャラクターで一躍人気者になった彼女。

私の記憶にもTVの中で元気いっぱいに踊る彼女の姿が強烈に残っている。

彼女の派手なファッションが、
自分自身で考えていたことを知って驚いた。


「縄跳び」から「腕輪」を作ったり、ないものは自分で生み出す。


彼女の少しかすれた、でも無邪気な声がこう言う。


「ないものを自分で作って生み出すのが凄く楽しくって。でも、1にすると、みんなが100にしてくれるの。だから、篠原が腕輪を作ってテレビですると、もう次の週とかにはそれが商品になって原宿で売ってたりとかするの。それが面白いの。なんか時代と追いかけっこしてるような」
http://www.tfm.co.jp/challenge/onair/detail.php?id=23から引用)


篠原ともえさんは10代の頃に、吉田拓郎さんから「ファッションデザイナーになったらいいよ」といわれ、「じゃぁこれからも自分のお洋服、派手派手にデザインします!」と返答したら「違う」といわれた。


そして吉田拓郎さんはこういった。


「アイデアは自分のためじゃなくて、人に捧げるもの。誰かにいつかデザインしてあげなさい。」


その約20年後、篠原ともえさんは松任谷由実さんのステージ衣装を手がけることになる。





この話を聴いたときラジオの前で立ちすくんでしまった。




−アイデアは自分のためじゃなくて、人に捧げるもの



この先、何かを作っていくときこの言葉を忘れないようにしよう。



★★★ゴブサタシテオリマス マギー・シローデスガ★★★


石野卓球さんプロデュースのこの曲、MVも最高!!

8月のサンセットビーチ

いろんなことがありすぎて、
飽和状態だけど気付いた。
最近、アウトプットしてない。

だから、また始める。
生きた証を記す。
誰に向けてでもない、
読んでくれているすべての人に向けて。

息をするように書いていこうと思う。


今日は休みだった。

午前中に大切な用事を終え、
心身ともに少し疲れていた。

ゆるりと洗濯物を干してた。

12時すぎにジョージから着信
これからちゃんまなとありりと北谷の海に行くって。

なんてタイミングがいいのだろう。

あわてて洗濯物を干して、
カバンにタオルを詰め込んだ。

私は周りに恵まれている。
落ち込んでいたりすると、
必ず誰かが助けてくれる。

ジョージの車は、
抜けるような青空の下を走る。

海風が気持ちいい。
この一週間を振り返る。
大変なこともあったが、
青い海と空を目の前にすると、
そのすべてが
とてもちっぽけに見えた。

サンセットビーチには
たくさんの観光客。

連日のスコールのせいか、
海は濁っていた。

それでも綺麗だ。

ぷかーっと浮かんで、
空を見ればまるで
大海原にひとりきり。

あごひげを生やした細マッチョの彼氏と白い水着を着た彼女。
テラスハウスに出てきそうなカップルだ。

彼氏が彼女をおんぶしたり、水をかけあったりしている。

2人だけの世界。

彼らがキラキラ光って見える理由は、何かに陶酔している人間の美しさだ。

でも、
そのとき心の底から出た言葉は、
「うぉ〜うらやましい〜。いいなぁぁぁ。」

水死体ごっこ


ボールで遊んでたら、
スコールが降ってきて慌ててテントに避難した。

デポアイランドでプラプラして、
メキシコでタコス食べて帰ってきた。

メキシコのタコス

借りていたレンタカーを返しに古島へ。
帰りにパートのおばちゃんちによって大量の野菜をいただく。
(ナーベラー、オクラ、ゴーヤー、エンサイ、ナスなど)

野菜の下処理を終え夕食を食べると睡魔に襲われる。
日焼けがかゆい。かゆいけど眠い。
いつの間にか寝ちゃってて22:00、
倫太郎の電話で起きた。

慌てて桜坂のBar Smokeへ。
ちゃんまなとありり(音沙汰)のライブに間に合った。
O.A.の金城単三電池も観れた。

怪しい店が並ぶ桜坂


そうそう最近アップルミュージックを始めたよ。
いろんな音楽がたくさん聴けて便利だけど、
まだ仕組みが理解できてないの勉強しよっと。

おやすみ。


2015年8月3日月曜日

『ビジュアル系パイナップル』

最近、パートのおばちゃんから頂いたにんにくを醤油に漬けて、
その「にんにく醤油」で卵かけ御飯を食べることがマイブームの松野です。
うまいんだこれが。みなさんも是非お試しあれ。

南高梅も頂いて食べてるけど、
あれも超美味しいね〜!
梅干しの中でもやっぱり南高梅が一番好きだなぁ。
暑い日にパクリと一粒食べれば元気になるパワーフード。

今日も野菜を買いに中城ファームへ。
パイナップルがポツンと一つだけ売れ残っていた。


葉っぱの方が大きいこのパイナップルを見て、
初期のXジャパンを思い出した。
ビジュアル系パイナップル・・・と心の中でつぶやいた。



P.S.葬儀ライブのパノラマ写真載せておきます。



『海とマリオ』

マリオが久しぶりに来沖したよ!
でも大阪で7月に会ったから、そんなに久しぶりな感じはしなかったよ。
路上ライブするつもりで北谷に集合したけど、メンバー揃わなくて、
ブルーシールでソフトクリーム食べて、
サンセットビーチではしゃいだよ。

そしたら、
はしゃぎすぎて財布を海に落としたよ。
もう少しで気付かずに海の藻屑になるところだったよ。
みんなも海ではしゃぐときはポケットのものを全部出してね!

2015年8月2日日曜日

『我如古の葬儀、そして灰になる』

2015.8.1(土)
我如古ファンクラブの葬式がEX.我如古ファンクラブによって執り行われた。
解散した我々は、葬儀に向けて様々な準備をした。

大量に余ってしまったワンマンTシャツを黒く染めるべく、
炎天下の中での染め作業。




リサイクルショップで購入した衣装ケースに、
大量の墨汁とお酢と水をいれ、じっくり浸透させる。
しかし、一度すすいで見ると、すぐに色が落ちてしまう。


2度目はさらに数日間漬けなおした。
それでも真っ黒にはならず、
少しグレーになったくらいだった。


当日、

会場には、棺と祭壇を用意。
いままでの思い出の写真が壁中に貼られる。
我々の年表(ディスコグラフィー)と、もう着ることのない衣装。
遺品整理と銘打った物販たち。
全てが物悲しい雰囲気に包まれている。






そして最後のライブが始まる。
60分強のセット。
最初は、お客さんも我々もどういうテンションで望めばいいのか探り探りだったが、後半になるにつれて、会場が温まってきた。

「見苦しいほど愛したい」を演奏していたとき、
様々な思いが頭の中を駆け巡った。

本当にこの一曲一曲が最後なんだ。
この瞬間、この景色、二度と体験することのできない空間。
4年間続けてきた。一所懸命話し合って、練習して、ライブして、反省して、
またライブして、あーだこーだいって、そしてメジャーデビューできなかった。

本当に苦しい時期は山ほどあった。でも乗り越えてきた。
そこにはたくさんの人の支えがあった。
感謝してもしきれないくらい感謝で溢れている。



「自分だけの目標」がいつのまにか「みんなための目標」になった。



もがいてもがいて誰かを責めたり、自分の不甲斐なさを責めたり、
たくさん嫌なこともいった。
本気で、やった。


でもさ、
そこでもういっかい、
この言葉がフッと湧いてきた。


「本当に一生懸命だったか?」


頭の中でずっと鳴り響くこの自問自答。


素直にみんなの前で謝った。
どうあれ、結果は結果。

「みんな、ごめん」

感謝を伝える言葉が凡庸な8文字になってしまった。

「本当にありがとう」

そして先ほどの自問自答の思いをそのまま吐き出した。

一生懸命だったか?本気だったか?死ぬ気だったか?やれることは全てやったか?猛進し続けたか?

この挨拶は絶対に下を向かない。
涙は流しても、凛と前を向き続けると誓った。

いまこの場にいる人たちにだけでもせめて、
この思いを聞いて欲しかった。


聞いた人の人生が少しでも、
本当にちょびっとでも、
明日からいい方向に向かって欲しいと心から願う。


そのために自分自身とみんなにこう言った。


「バンドはいつか解散する。人はいつか死ぬ。みんな毎日つらいこと色々あるけど、一生懸命生きろ。」


今回の葬儀に参加してくださったみなさま、いままで応援してくださった全てのみなさん、ありがとうございます。

(インターネットから写真を数枚転用させていただきました)