2013年12月29日日曜日

12/28(土)

昨日のバイト終わり、
苫米地英人氏や宮台真司氏の本を探しに長田のブックオフに行った。
しばらく本を漁っていると、後ろから声を掛けられた。

「むねさん」

むねさんと呼ぶのは限られているのであきほ(♂)だとすぐにわかった。
あきほは彼女さんと一緒にいた。

久しぶりに会ったのでテンション上がって、
ここがブックオフであることすら忘れて10分ぐらい話した。

あきほはJAZZ研の後輩でキーボード。
我如古の3号タクミと別でバンドを組んだり、ホテルで演奏したり、
オールディーズバンドでハコバンしたりしてる勢力的に活動する元野球少年。

私があきほのことを尊敬するのは、「いつも元気」であることだ。
パワーを感じる。
人間だから気分が落ちていることもあるだろうに、
あきほのテンションはいつもそんなにかわらない。
私はあきほに会うと元気をもらう。

「最近、睡眠時間が半分になった」
と笑いながら話す彼の目元は確かに疲れていたけど、
以前と変わらない、前を向いて進む目をしていた。

結局、お目当ての本は見つからなかったので
給料入ったらAmazonで物色して買おうと思う。

そして最近、部屋が寒すぎてヤバい。
厚手の靴下とスリッパとスウェットが欲しい。
今日バイト終わったらUNIQLOに行こう。

2013年12月28日土曜日

12/27(月)

寒いよ沖縄!
後輩の家いったけど暖房効いててあったかかったなぁー。

しかし年の瀬というものはどうしてこうも慌ただしいのだろうか。
街も人も自分も、時間の流れが急激に加速しているような感覚。
いちにちいちにちが矢のように過ぎ去ってゆく。
行く先は暗雲覆う冬空の如く不鮮明だけど、
気持ちの持ち方、考え方次第でどうにでもなることを知った2013年。
来る2014年は今年得た教訓を存分に生かして昇華したい。

そろそろ正月。
こたつ入ってみかん食いながらゴロゴロしてTVみれる正月っていいな。

宮台真司さん初めて知ったけど、この動画の後半のトークを観て好きになりました。
教育についてほとんど話さないで、後半は「高尚な人々による下ネタトーク」が繰り広げられてめちゃ笑った。

今日観た動画

博士の異常な鼎談 宮台真司 教育問題のウラ 

http://www.youtube.com/watch?v=b9D-NFjfscY&list=HL1388160407

2013年10月23日水曜日

マリア、愛すべき人がいて

バイト9連勤がおわり明日は休みなので、やっと週末の映画について進められる!

この前、なみつんと幸鳥さんに出演してもらったゾンビメイク動画「モエ★グロクッキング!」がこちら。
なみつんゾンビメイクうまいし、話の返しうまいし、すげーなーっち思った!
幸鳥さんもいつも小麦粉かぶったり、洗剤食べたりローションかぶったり、ありがとう!
料理番組風に撮りたくて、でも編集しているうちにどんどんシットコムっぽいつくりになっていったもんだから、うさんくささが倍増した。

imovieは無料にしてはインターフェイスは見やすくて、操作もしやすいんだけど、
唯一の難点が「保存する」のボタンがないこと。

自動保存なので、ちゃんと保存されているかどうかわからない。
前回のりんご音楽祭の編集時、テロップを打ち込んだ後、テロップ効果を一つづつつけていったのだが、一度再起動してimovieを開くとテロップ効果が全て初期化されていて愕然とした苦い思い出がある。

是非ともimovieがアップデートされる際には「保存する」をつけてほしい。
保存ボタンがあれば安心する。

今回の10分の動画を編集するのに5〜6時間かかった。





2013年8月23日金曜日

じこはおこるさ

8月17日(土)
那覇で用事を済ませ帰路に着いたのが23:00ごろだったと思う。
いつも通り猛烈な眠気に襲われていた私は、ミンティア5粒を奥歯で割り、iphoneで「スキップビート」を爆音で流しながら、首里のでこぼこ道を下っていた。
フラフラのまま、西原に入る。
坂田の交差点を左折したあたりから記憶はなくなっていて、気付いたときには、ものすごい衝撃が私の体中を駆け巡った。

その瞬間、「あ、やっちまった」「何かにぶつかった」「前の車にぶつかったんだ」「代行の車?」「終わった」「修理代高いだろうな」「自賠責入ってたっけ?」など冷静な思考が一瞬のうちに浮かんでは消え・・・と、次の瞬間、地面に叩き付けられた。

朦朧とする意識の中で、なんとか起き上がろうとしたが身体が思うように動かない。
おっちゃんが必死に「大丈夫ですかー!?」と私に声をかける。
意識がある事を伝えなければと思い、力を振り絞って「はい、大丈夫です」と答えた。
おっちゃんはそれはそれは迅速な手順で、横に転がっていた鞄を仰向けの私の頭の下に枕代わりに敷いてくれ、「首を動かさないように!」と両手で私の頭をしばらく固定してくれていた。
次第に人だかりが出来る。追突した前の車はおばちゃんが運転していたらしく、「突然後ろから突っ込んできた」とみんなに説明していた。それを聞いて自分が起こした状況の裏付けが取れた。私のカブ号には大きなコンテナを積んでいたので、誰か勘違いしたのか「なにか配達の途中かしら?」という声が聞こえて、「違います」と突っ込みたかったけどそんな元気はなかった。

私の後ろを走っていた運転手が救急車を呼んでくれたらしい。すぐに救急車が来た。(でも後で思ったけど、ものすごく早く救急車が来たような感覚は、意識がない時間があったからではないかとも思う)
救急隊員はこれまた迅速にネックロックを装着してくれ、数人に担がれストレッチャーに乗せられ、救急車にぶち込まれた。


車内での会話。


救急隊員「お宅大学生?」
松野「はい、琉大でした」
救急隊員「卒業したの?」
松野「卒業はしてないのですが、中退です、そして現在フリーターです」
救急隊員「そうか・・・身内の連絡先わかる?」
松野「はい、兄貴が沖縄にいます・・・携帯電話に連絡先あります」


別に「卒業した」と答えておいてよかったのになんでそこまで真面目に答えたんだろうと後で思った。

私はポケットからスマホを取り出し兄の電話番号を呼び出し、救急隊に渡した。
救急隊は兄に電話してくれた。

そうこうしてるうちに琉大病院に着いた。
ストレッチャーでERに搬送され、そこで待ち構えていた救命医たちに色々質問された。
救命医は3人いて、その内の1人がベテランの女性で歳は30代、雰囲気が椎名林檎のような綺麗めな顔立ち。ほくろもあった。そして研修医っぽい女性と男性が1人づついた。


まず痛いところはないか、手足は正常に動かせるか、しびれているところはないか、先輩医師に何度も聞かれた。

後頭部から首にかけて痛みがあったので、そのことを伝えると「MRIしましょう」ということになった。

ストレッチャーでMRIのところに運ばれていく。天井しか見えない。頭はまだぼーっとしている。

MRIを撮り終えて、元のベッドに戻ると、「念のために超音波検査しますね」といわれ、ヌルヌルしたものをお腹に塗られ、先端が丸くて冷たい機械でグリグリされた。

先輩医師「ほら、これがね、腎臓。」
後輩医師「え、じゃぁこれは?」
先輩医師「それは骨。」

みたいな感じでしばらく「いい実験台」になっていたけど、引き続き頭がボーッとしていたので別にいいやと思っていた。
しかし、そのグリグリが股関節に近づくにつれ、こそばゆくなってきた。でも「あー!くすぐったいっ!うふふ!あはは!」など言えるはずもないので、しかめっ面をして笑いをこらえるのに必死だった。

なんで俺はERに運ばれベッドの上で必死に笑いを我慢してるんだろう?なにこのシチュエーション!とか思っていたら、さらに色んなところをぐりぐりされて、いつの間にか終わっていた。

研修医は「とても勉強になりました!」と言わんばかりの表情だった。

机上のデスクトップPCの画面に映し出された私の脳みその輪切り画像を見ながら、ベテラン医が訝しげな表情をして「ちょっと先生呼んできましょうね」と言いどこか消えて行った。

え!
やばいのかな?
なんか血とかが溜まってて、それが破裂寸前なのかな??

とか色んな妄想が駆け巡り不安になっていたら、まもなく専門医が来た。
PCの画像をしばらく指差しながら見たのち、振り返りこう言った。

「えー特に異常ありません。」

ホッとした。いや、ホッッッとした。


遠くから声が聞こえる。
「18歳男性、突然意識を失い倒れ、現在救急車でこちらに向かっています、状態は・・・。」
どうやら急患らしい。
すぐにカーテン越しの隣のベッドに搬送されて来た彼は意識がなく危険な状態だった。

私は1人になった。

次第に頭のモヤが晴れてきて、ベッドの上で1人、ふと「生きててよかった」と噛み締めた。

兄貴がベテラン医に連れられて来た。

兄貴はすごく普通のテンションで「大丈夫か?」と聴いた。

私は「うん、大丈夫。ごめん。」と答えた。

なんかもうノーリーズンでめちゃくちゃ安心した。

奇跡的に異常はどこにも見当たらず、ムチウチになっていただけなので、歩いて退院した。

兄貴はうちまで送ってくれた。

途中、コンビニでサンドイッチと水を買ってくれた。

そしてうちに着くと「今日はここで寝るわ」といい、椅子に座り腕を組んで目を閉じた。

頭を打った患者が夜中に容態が悪化して死亡するケースもあるため、兄貴は一晩、クーラーもないクソ蒸し暑い部屋に泊まってくれた。

「レオン」のジャン=レノスタイルで兄貴は少し離れたところから見守っていた・・・。

色んな人に迷惑をかけ、膨大な修理費と治療費、そして時間が費やされた。

もう二度同じ過ちを繰り返さないためにここに綴る。

「みんなも運転にはくれぐれもきおつけてね!」




2013年8月5日月曜日

東京にいってきました2

「とりあえず100均にいって靴ひもを」と考えてる間に、中華街に到着。
元町・中華街駅は天井が高くてエレベーターが急で、近未来風。

未来都市みたい

エレベーターで上がると、しばらく通路を歩いた。800mくらい歩いたと思う。
あまりにも長すぎて途中で「ポケモンに出てくる地下道みたいだね」っていうどうでもいい会話をした。

Bボタン押しながらだとアイテム拾えるあの地下道みたい

通路を抜けて5分ほど歩くと、みえてきました人だかり!
そして中華街っぽい建物たち!

THE 観光客

とりあえずインフォメーションで100均があるかどうか聞くと、中華街の奥の韓流百貨店なるビルにダイソーが入っているという情報を手に入れた。

それを聞いて安心したので、ぶらぶら食べ歩きを開始する事にした。
まずゆるふわさんの「本場の小籠包が食べたい」という要望に答えるべく、それらしき店を探していると行列を発見。
「並ぼう」とみんなに言うと、ヒトリッコが「食べ物のために並ぶなんて人生で初めてだよ」とぼやいていた。

並んでまで買った「小籠包」をいざ実食!
噛んだ瞬間に水風船のように肉汁が溢れ出し初めは驚いたが、そんなことどうでもいいぐらい美味かった。上に乗った千切り生姜がピリッとアクセントになっていた。
本場の中華街の空気と「並んで買った」という行為も味を後押しして、とても美味しかった。

「みんなとてもおなかがすいてるから、とりあえずガッツリ食いたいよ」という意見に賛同。食べ歩き中断宣言の4人が向かったのは、2時間食べ放題の大衆食堂に入った。

点心祭りじゃぁぁ!

満腹で満たされた4人は、ふたたびプラプラと歩き出した。
少し歩くと韓流百貨店を発見!一目散に駆け上がり、靴ひもを購入できた。
「これで安心」とホッと一息して下に降りると、タクミがベビちゃんみたいな帽子を衣装として購入していた。とても似合っていた。
怪しい雑貨屋でお土産かったり、唐辛子キーホルダー屋のおばはんと軽く喧嘩したりしながら、ぐるっと中華街を一周した。
周り終わった後、食べ過ぎて気持ちが悪かったので、ビル前の日陰のスペースで20分くらい寝込んだ。食べ放題にいくと、大抵食べ過ぎて体調を壊す。

 巨大なベビちゃん


 中華街の真ん中にて

 中華街の門前にて

というわけで、中華街を満喫した4人は渋谷駅について、一度解散した。
松野はその後、キュウソネコカミのライブを観に代官山へ。
代官山は、駅降りた瞬間から洗練されたオシャレ空間に包まれた。
充電がやばくて飛び込んだファミマもオシャレだった。
代官山ユニット目指して走った。
こんな閑静な場所にライブハウスなんてあるのかな?と思いながら進んだ。
なんとか見つけて中に入ってみると、会場はめちゃめちゃ盛り上がっていた!

「いろいろ勉強になった」
魅せるねー!キュウソネコカミ初めて観たけど好きになった。

という怒濤の1日でした。





2013年7月30日火曜日

東京にいってきました

我如古ファンクラブがついに流通版のミニアルバム「我如古エクソダス」を発売。
というわけでハンディ松野は、東京にツアー行って参りました!

7月18日(木)飛行機に乗り遅れるも、便をずらしてなんとか成田空港に着く。
横浜のおばさんちに泊めてもらう。

7月19日(金)田園都市線で渋谷駅へ。

何層にも分けられた渋谷駅。動画のレイヤーみたい

よく地球滅亡系映画で使われるロケーション
突然目の前に現れた「明日の神話」に感動。

昼すぎに下北沢に到着。8時間くらい早く現場に入ってしまい、とりあえず楽器屋に行こうと思い、ぐるぐるするが楽器屋見つからず、泣きながら渋谷にとんぼ返り。

泣いてる

渋谷の楽器屋でスティックとスネアのスナッピーを購入し再び下北沢へ。

ここがシモキタ・・・なんか落ち着く!


マック赤坂氏を観て、東京に来たんだと実感した。


下北を散策しまくる。当初の予定だった本多劇場はちょうどいい作品がなくて断念。

次来たときは入りたい


沖縄の公設市場みたいな通り発見!


2時間くらい歩き回った末、16:30くらいにおしゃれなオープンBARにピットイン。

「FOOD&BAR happy」と書かれたその店はアンティーク&ノスタルジックで、決して広くないカウンターには椅子が5脚ほどならんでいる。聞くと日替わりで店主も店名も代わり、日によってはドーナッツ屋にもなっているという。その日は「ものづくりカフェCHECK」という店名だった。

店主のtomomiさんは編み物をしていて、落ち着いた店内の雰囲気に溶け込んでいた。
18:00にメンバー集合なのに、雰囲気がいいものだから調子に乗ってビールを4杯飲んだ。

ジョージとヒロと早めに合流したから、その店を紹介した。
3人で、もう一杯飲んだ。
オシャレな店内。

夕暮れとともに店に別れを告げ、待ち合わせ場所に集合。
挨拶回り・フライヤー配りのため、下北沢のCDショップ及びライブハウスを巡った。

我如古ファンクラブIN下北沢

途中で休憩がてらおしゃれなカフェに寄る。
そこで急激に睡魔に襲われ、カフェのふかふかのソファーで深い眠りに着く。
起きたときには2号と3号は残りの挨拶回りを済ませ、1号は物販用のPOPを制作していて、なんとも申し訳なく思った。

顔のデカさほどのグラスに驚く。


そして23:00もすぎたので、下北沢SHELTERへ。
そこにはジャックザニコルソンズとヤバスターズがいて、沖縄感が出まくっていて安心した。

そしてライブは4:00前に無事終了。

04:20ごろSHELTER


ふらふらになりながら、駅に近いネットカフェを目指す。
なんとか部屋が開いていて、倒れるように眠る。

4:30ごろの下北沢。空が明るい・・・!


翌朝9:00ごろ起床。
この日は3号とゆるふわさんとヒトリッコで横浜中華街食べ歩きを計画していた。
11:00ぐらいにネカフェを脱出。
ここで問題発生。島ぞうりで沖縄から来ていた私の足は限界を迎えていた。
ぞうりの方が楽かなぁなんて軽い気持ちで行ったのが間違いだった。
慣れない徒歩での長距離移動に重い荷物が重なって、あまりにも親指がちぎれそうだったので下北沢のビレッジバンガードで980円の靴を購入。
「うしし、これで快適。靴ひもは電車で結ぼう」とおもい、ヒトリッコと待ち合わせしている渋谷駅に急いだ。これが更なる不運を生む。

渋谷駅に着き、待ち合わせの乗車口の前で電車を待っていたら、ヒトリッコが来て、久しぶりの再会。
なにひとつ変わってなかったヒトリッコ


靴ひもは片方結び終わり、もう片方は中華街行きの電車の中でと思い、特急列車に乗車。
座席に座り、さて靴ひもを結ぼうかしらとおもい、足を上げると、靴ひもは姿を消していた。

後でやろう、と思った結末。


思わず「靴ひもがない!」とそのままのことを言ってしまった。

つづく

2013年7月15日月曜日

「POP脳」を終えて

7月13日(土)は、ハンディ松野&それもまたよしPREZENTSスーパー個展『POP脳』を開催しました。

那覇市三原1丁目にあるイベントスペース「morso」で行われた一夜限りのこのイベントに3連休の忙しい中、20人以上も足を運んでくださいました。

それもまたよしは大きなフクロウの画を天井からダイナミックに吊るし、インパクトのあるカラフルな絵や写真を多数展示。


松野は大人の絵本「大人ミッフゥー」、「いもたれーしょん」の原画を展示。

映像はそれもまたよし制作「SUIMA」、
ハンディ松野制作「ハンディ松野の帰省」「byebye blackstone(予告編)」「いもたれーしょん」、
そして共同制作した「KILL夢ドライブ」のFUNMADEMVを公開した。

パフォーマンスはハンディ松野が「同窓会」「This video has been deleted」を生演奏した。

POPとは何かをテーマにお送りした自身初の個展。まず一番に感じたのは、イベントを打つ事の大変さを痛感した。どうやって宣伝していけばいいのか、どういう空間をつくればいいのか、分からないことだらけのまま手探りで、いろんな人の力を借りながらなんとか無事終える事が出来ました。

「とりあえずやってみる」精神で始めたことで失敗ばかりだったけれど、得られたものは予想以上に多かった。自分の作品はPOPとはかけ離れていて、特に帰省動画などは何度観ても傷口に塩を刷り込まれるような感覚に襲われる自虐動画だった。しかしこの日プロジェクターで流して観てもらう事でなんだかもう今までの自虐的感情がほぼ皆無になった


来場してくれた友人、先輩からも素晴らしいアドバイスがもらえた。忘れない。自分を観てくれている人は確実にいる、自分の動画を楽しみにしてくれている人がいると再確認できた。

来てくれたみなさん、ごーきさん、あゆみ、ふみん、たくみ、まつけん、まつざき、そしてじょーじ、ひろ、あかり、これを読んでくれてる人、そしてまたよし、みんな本当にありがとう!

handy matsuno

2013年6月1日土曜日

矢口真里がかつてアイドルだったことは、たくあんがかつて大根だったんだよ と 言われるくらいピンと来ないよ、夏

風疹の予防接種を受けに、宜野湾の海邦病院に来た。久しぶりの病院だ。

消毒液とかアルコールとかシップが混ざった匂い。内装は最近改装されたのだろうか、壁と床が白で統一され、明るい雰囲気。

一階で受診を待つ間に思ったが、上の階にはベッドで病と戦っている人が何人もいるんだ。

昨日まで歩くことが普通だったのに、今日道歩いてたら車が突っ込んできて、両足切断を余儀無くされた人とか、ある日突然余命2ヶ月のガンと宣告された人とか、生まれつき何年くらいしか生きられないと言われてる人とか、HIVで苦しんでる人とか、脳に腫瘍ができた人とか、色んな人がいるんだろうな。

私が体験したことのない次元の痛みや不快感を感じてる人がいる。

私はこの予防接種が終われば、よっこらしょと家にバイクで帰り、途中でスーパーに寄り、晩御飯を買い、飯をつくって食べ、
テレビを観ながら寝ることができるが、入院している人はそういう日常生活は行えない。

私も中学生のころ、夜中に腸捻転で痙攣を起こし、1週間ほど入院したことがある。
入院生活がどれほど不自由と感じ、暇だと思っただろうか。

時間は膨大にあった。
「ブラックジャック」をほぼ全巻読んだ。
ほぼ、というのは、あまりにもハマった漫画は最終巻は読まないという私なりの主義があるからだ。この楽しい世界が終わってしまうから。

あと、スケッチブラックとえんぴつを買ってきてもらって、絵を描いた。
最初に描いたのは、60年後の自画像。

これはなかなか良くできたと思ったが、なんだがあまりにもリアルで、意思を持ってこっちを見ているような気がして気持ち悪くなったので、そのページはなるべく開かないようにした。

その後、メビウスの輪みたいなトリックアートを描いたけど、途中で飽きてやめた。

味気のない病院食に碧壁として、紙に食べたいものを書きまくった。

てったこ(大分のタコ焼き)、お好み焼き、明太子スパゲティ、ラーメン、カレー。

夜中はラジオを聞いた。山田ヒサシのラジアンリミテッドやオールナイトニッポンとか聞いていたと思う。

退院したときのことはあまり覚えていないけど、やっと退院できる!という異常な興奮は記憶している。

これからもいく度となくお世話になるであろう病院、あまりお世話にならないようにしたいものだ。

2013年5月27日月曜日

着ぐるみ着るとコミュ障になる

久しぶりにあった知人が「久しぶり!」とか「元気だった?」とか常套句すっ飛ばして「あれ、なんかタンスの匂いがするね、どうしたの?」って言うんだ。
こんばんわ、松野です。

最近また部屋で踊ってみた。嵐のごとく想いの向くまま、身体を爆発させた。その日はライブだったので、2時間くらい踊った後で、ヒューマンステージに向かった。久しぶりのヒューマンだったのでワクワクした。いい感じで身体が暖まっていた。我如古はオープニングアクトだったので、1組目の役割を果たすべく駆け抜けた!頭がキレキレすぎて、曲終わりのキメを忘れてしまうアクシデントがあったが、なんとかテンションで切り抜けた。何より、お客さんが暖かかった。いつも観に来てくれる方々が会場を一緒に盛り上げてくれる。ありがたいことだ。感謝。

セットリストの最後にHIPHOPソング「パンツの穴」をみんなで歌った。自分が歌っていないときは踊るのだが、今日は事前に身体を散々動かしていたので、いつもの2倍は激しく動いたつもりだった。終わった後に、来てくれていたお客さんに感想聞いたら「松野さんの動きが本当に気持ち悪かったです」「今日は一段と際立って気持ち悪かったです」というお言葉を頂いた。やっぱり家で踊ってきたことが反映されてたのか、事前の練習は大切だと思った。

橋本拓也さんのときは、最初は最前列で身体を横に揺らしながら聞いていたが、あまりにも音が気持ちよすぎて、気付いたら椅子に座ってうたた寝していた。

385相変わらずライブパフォーマンスが凄かった。ミヤさんあんなに頭ふりながら身体揺らしながら、正確で激しいベースラインを鳴らすなんて信じられない!蓮尾さんの存在感がすごかった。舞台映えするというか。天願さんは、今回ステージ袖でずっと天願さんのドラミング観てたけど、もう早すぎて凄すぎてずっと観てた。最後までパワーが落ちない。アンコールはむしろ一番元気いいってくらいだった。みんな体力すげぇ・・・!これは見習わなくては。

そうだ、体力をつけておかないと、もし「サバイバル」や「ドラゴンヘッド」的なことになったら真っ先に死んでしまう。大災害が起きたときにあっさり死んでしまってはもったいない。ある程度物語の主人公のような体験がしたい。だから、体力をつけて終末に備えるんだ!爆弾や隕石が落ちてきたら終わりだけど!

2013年5月21日火曜日

睡眠とともに生きてゆく

生きている限り、必ずしなければ行けない行為、それは「睡眠」。
人生の3分の1は寝ているのだから、「睡眠」とは上手にお付き合いしていきたいものだ。

松野は、いつでもどこでも眠くなったら最後。強烈な悪魔的睡魔が脳みそを支配し、すべての思考が「眠い」の2文字の前にひれ伏す。弁当を食べているときに来れば、口にご飯が入ったまま寝るし、ドラムをたたいているときに来れば、リズムを刻みながら寝る。バイクの運転中などにそいつが来た日にはひとたまりもない。気付けば工事現場の中にいたり、塀にぶつかったりする。
コーヒーを大量に飲む、タバコを吸う(当時)、激辛MINTIAを大量に接種する、身体を動かす、顔を洗うなど、様々な対処法を試したが、悪魔の前にはすべて無力だった。悪魔は寝る以外の選択肢を与えてくれなかった。

この恐るべき睡魔が、ついこの間まで、松野の生理現象の悩みの中ではダントツのトップだった。だが最近少し変わってきた。眠気を克服するということが少しずつではあるが可能になってきた。

松野自身はこの感覚を「覚醒した」と表現している。

様々な理由が複合的に混ざり合って、覚醒に至ったのだと思う。例えば4月に患った気管支炎。1週間以上治らず、息をするにも話すにも辛く、タバコを休止するきっかけにもなった。「生きている時間は短い」と心から思った。「明日生きている保証なんてどこにもない」と心から思った。

でもやっぱり眠いときは眠いので、活動や仕事が終わった段階で、一時的にその場に寝るという方法を現在行っている。

眠い、やつが来た、途中だけど寝る、おやすみ!

2013年5月19日日曜日

奇跡的に晴れた今帰仁ロケ

この度ハンディ松野は、夙川ボーイズのMVを勝手に制作しております。ファンメイド!といえば響きがいいのですが、要は勝手に作ってます。

なぜって?

夙川ボーイズが好きだから!

共同制作者は、またよし。
最近髪の毛がアメリカのガムみたいな色になっているが、まじめな大学生です。

夙川ボーイズの何の曲のMVかというと2N'dアルバム「LOVESONG」収録6曲目

「KILL夢ドライブ」

なぜって?

この曲がかっこいいから!

完全にジョージの影響。ジョージがあの曲めっちゃ好き!でずっと聞いてるうちに松野もハマったパターン。

この曲は沖縄の北部、今帰仁という自然がいっぱいの村で、夙川ボーイズがドライブしているときに出来たらしい。爆発音のような鋭いアタックから入るこの曲は、闇夜を切り裂いて駆け抜けるナイトドライブにぴったりの曲。

とりあえず今帰仁にいかなきゃ話は始まんないっしょ!というわけで、友人数人に協力を募ったところ快く引き受けてくれた、うれしい。
松野、またよし、ジョージ、ひろ、あかりんの5人でいくことになった。

8:00に久米にレンタカーを借りにいった。軽のムーブを予約していたが、軽が手配出来なかったらしく急遽一つランクが上の乗用車NOTEをレンタルできることに(お値段そのまま)!ラッキーガイ!

9:00に集合して出発。5人を載せたNOTEは330号線を北上。
まず恩名の道の駅でジョージ推薦、ムール貝のうにクリーム焼き(¥100)を激食。
これは安いしうまいし、味くーたーの松野にとって満足の一品だった。
ただ食べ過ぎると絶対痛風になると思った。

そのあと御菓子御殿にいって、お菓子の製造ラインを観て興奮した。

名護ジャスコいって、ノリでプリクラ撮った。見た目の3倍は綺麗に写るのだから、相変わらず凄い技術と欲望が詰まった機械だと思った。


そして、玉家そばJr.に行き、そばを食べる。

ここまで食べ歩き。


よし、おなかも満たされた事だし、撮影しに今帰仁じゃぁ!と向かっていると、みるみるうちに曇っていた空が晴れていくではないか!やったー!
週間天気予報では雨マークしかないこの梅雨時期に、奇跡的に青空がのぞいているではないか!めざましテレビの占いでやぎ座が2位だったからなのか、またよし&あかりんが晴れ女だったのか。たぶん両方だとおもう!とにかく晴れた!

その勢いで古宇利島へ上陸。
『KILL夢ドライブ』をフルテンで流しながら橋を爆走。ちょっと浮いてたと思う。

浜辺でバレーして、ジョージと相撲もとった。1勝2敗で負けた。
浜の隅に切り株がいい感じで並んでいたので、記念撮影した。


その後、マッハで今帰仁城趾にいって撮影。緑が気持ちよくて、寝女子る人が続出。
今帰仁城趾は雄大で、石造りのしっかりした長い城壁は無条件に美しかった。


帰る頃には小雨がぱらつきはじめ、まるで私たちの撮影が終わるのを待ってくれていたように思えた。
最後はレンタカー返却時間もあり、ばたばたしてしまったが、弾丸ツアーは天気にも恵まれ、事故もなく無事に終わった。またよし、ひろ、あかりん、そして、じょーじ!ありがとう!

制作進行は随時アップしていきまーす。

松野

2013年5月14日火曜日

「同窓会」の知らせ

FBで久しぶりに高校の担任を拝見して、元気そうで安心した。
同窓会が8月にあるから行きたいと思った。ちょっと前までの自分だったら、変につっぱって素直じゃなかったから行きたいとか言わなかっただろうからそれだけでも成長したのかもしれない。

25歳、みんな高校を卒業して7年という月日が流れた。とんでもないどん底を味わった人もいるだろうし、思いがけない幸運に巡り会ったかもしれない、特に何の起伏もないニュートラルな7年だったという人もいるだろう。それぞれ形は違うけど、確実に同じ7年を生き抜いた同級生に、単純に会ってみたいと思った。

これから同窓会が増えていくと必ず訃報も聞くだろう。それは病気だったり、事故だったり。でも嬉しい知らせもたくさん聞くだろう。結婚だったり、出産だったり。それを受け止めるだけの気持ちの整理をつけて同窓会に臨みたいと思う。・・・いやそんな重く考えることはないか!気楽にいこう!行けるかわからんが行きたいなぁ・・・。行きたい。

4年前、映研の後輩が「同窓会」という映画を撮った際に、テーマソングを書いた。
その名も「同窓会」(そのまま)。依頼を受けた私はまず「同窓会、行こうかどうしようか」というダジャレを思いついた。当時大学3年生だった私は、大学2年のときに高校の同窓会に行った記憶を思い出しながら歌詞を肉付けしていった。

変わりゆくものを観るのは好きなのだけど、その反面、変わってしまったことへの寂しさを感じたり、人間の感情はわがままであり、忙しい。

高校を卒業して7年が過ぎた今、同窓会がまた開かれる。その知らせをFBで知った私は無我夢中で画を描きまくった。このむずがゆい想いは早くアウトプットしておきたいと思ったであろうか。とにかく真っ先に、この2分足らずの曲にイメージをぶつける事しかできなかった。そうやって4年ぶりに再び日の目をみた曲。



2013年5月11日土曜日

君の頭の中は一生わからないけど、わかったつもりでいたい

今日は部屋で乱舞していた。
テクノミュージックに合わせて体中の関節を振るわせ心の赴くまま、無我夢中で静かに暴れた。むちゃくちゃな何のカテゴリーにも属さない乱舞。

そしてふと我に返って、スッと落ち着く。
また乱舞、の繰り返し。

明日は自分がドラムやってるバンド「我如古ファンクラブ」の初TV。夕方のローカル生放送にゲスト出演する。電波に乗ることはとても嬉しい、でもそんなときこそ、この乱舞するときの感覚が呼び起こされる。この場で(精神的に)爆発したいというある種の脅迫観念に苛まれる。でもそれは理性で押さえらる、だって、人間だから!

何が言いたいのかというと、例えば片側1車線の中央分離帯のない道路をバイクで走っていたとする(対向車線には猛スピードの車が途切れない)。そのとき、私がハンドルをたった一瞬右に5cm傾けるだけで、私の世界は終わる。

私が朝目覚めた瞬間から夜寝るまでの間(意識がある間)、その十分に起こりうる可能性をうまくかわしながら日々生きているのだが、たまにその可能性に異常なほど興味を持つ瞬間が訪れる。いま自分がこの行動を取ったら、恐ろしい出来事が待っている、その先をシュミレーションして実際に検証してみたくなる、いわば麻薬的な感覚だろうか。

最近はその突発的に起きる感覚と葛藤しながら、日常生活を生きている。

2013年5月10日金曜日

POP脳

最近動画を数本UPしていて思ったけど、自分の表情って自分が思っているより暗い。そもそも最初は自分で撮影してUPすることに緊張して、まともにしゃべれなかった。最近は少しなれてきたけど、それでもまだ自分が理想とする表情を画に出せていない。

ユーチューバーのみなさんを観ていて率直にすごいと思うのは、画の向こうの視聴者を意識してちゃんと伝えようとする「表情」ができている。生まれ変わったらジャニーズになって、ハニカんだだけでみんなにシアワセを提供できる爽やかさが欲しい。もしくはナオトインティライミみたいに春風のような愛を歌って、人々の心に癒しを届けたい。

ここ数日「POP脳」になりたいと思う日々が続いている。「POP脳」とは、自分の中での定義では、「自分が創作する(したい)ことが大衆の興味と一致して、自然と(無理なく)アウトプットされる脳」のこと。(ここで「POP」は「大衆に親しまれる」という意味合いとする。)
たとえば、すげーいい曲が浮かんだ!といって発表したら、その曲が5000万人くらいの共感を呼び、その人たちの青春の1ページに刻まれ、カラオケで歌われるたびに思い出の引き出し的役割を担うくらいになる。そういう創作ができたら単純に自分も含めてみんな幸せを共有できる(錯覚だとしても)瞬間が訪れる。

大衆と感動を共感する事だけが創作者の歓喜であるのかといわれたらそれはもちろん違うが、松野はそうなりたいと思っている。しかし松野の想像(創造)するコンテンツは、わかりにくい。POPとは「わかりやすさ」とも定義したい。わかりやすさに固執する現代日本の傾向はイヤだけど、自分自身がもう少しPOPさをインプットしなければ、多くの人に観てももらえない。アイドルやハリウッドに憧れる理由もそういうことなんだとおもう。キラキラした突き抜けたPOPを表現したいという理想と、混沌幻想悪魔的思想という現実との終わりなき葛藤は今日も続いている>>>

2013年5月6日月曜日

ニワトリの頭

よく鳥は3歩あるいたら忘れるというけど、あれは本当なのだろうか。
鳥ってそんなにアホなのだろうか。
鳥をよく見ると、目が恐い、小刻みに動く、飛べる、など色々な特徴がある事がわかる。

後輩が高校時代、生物の時間にニワトリの頭の解剖をしたと言っていた。
冷凍のニワトリの頭部を割って中を拝見したらしい。凍っているときは何かわからないが、解けてくるととてもグロテスクらしい。そんな経験を高校時代にできるなんてうらやましいと思った。

後輩曰く「ニワトリの頭の中を実際みましたけど、あれは、たぶんアホですねぇ」といっていたので、よっぽど小さい脳みそでも入っていたのであろうか。

ニワトリの話をするといつも思い出す映画がある。
生と死がテーマの映画「ジャンク」。

この映画で、ニワトリの頭を斧で落としても体はしばらく(何十秒か)動き回るあの映像はショッキングだった。
さらにフライドチキンが出来るまでの行程を映すシーンでは、ニワトリが一列に首元から吊るされてものすごい早さ(一秒間に数羽のペース)で首を切り落とされていくカットがある。その直後、アメリカの大柄な子供がチキンを美味しそうに頬張るカットがインサートされ、人間に対して皮肉たっぷりに描かれている。

もう一度観たいけど、もう二度と観たくない映画だ。 

2013年5月4日土曜日

25歳って四捨五入したらアラサーだし周りは結婚ラッシュだし

この前、バンド物販の制作中にジョージが、ひょこっと現れたギマリーに対して「おー最近どうね?元気?」みたいな言葉で話しかけてた。

その後ジョージと「おっさんくさい」について話した。

小学生くらいの頃、久しぶりに親戚のおっさんと会ったとき「おー学校は楽しいか?」とか「勉強がんばってるか?」とか言われた経験はないだろうか。
あれって、おっさんが子供に対して共通の話題がないことと、一番言って差し支えないことの両方の要素を持っていて、とっさに出てくる言葉が大体一緒なんだと思う。

だからジョージは自分自身でギマリーに言った言葉をいったん振り返って、「おっさんくさい」と思ったんだ。小学生の頃、なんでこのおっさんは会うたびに同じ事ばっかり聞くんだろうと思ってた自分が似たようなことを言い始めていると。

それを聞いてたしかに、と思った。
「おっさんくさい」って、酒の肴がさきイカだとか加齢臭がするとか見た目の事よりも、内面からじわじわ浸食されていってる気がする。

10代の頃は、しょうもないダジャレが頭の中に思い浮かんだとしても、こんなしょうもないこと言ったら恥ずかしいとか意味ないとか思っていわないんだけど、年を重ねるたびにしょうもないことをいうことのハードルが下がっていき、むしろ言いたくなってしまう傾向にある。

2013年5月3日金曜日

スタジオジブリレイアウト展

めちゃくちゃ行きたくてずっとタイミング見計らってて、やっと今日、スタジオジブリレイアウト展にいってきたよー!

9:15くらいに着いたらガラガラだったので、「やったー!」とチケットを買って入場したよ。柱にまっくろくろすけやジジがいて、入る前から雰囲気でてたよ。

中に入ると最初にナウシカの冒頭シーンのレイアウトが待っていた!
あの、恐ろしくも哀しいシーンでございます。
ナウシカをじっくりと観てたら、前を歩く女性が音声ガイドを聞きながら、とても楽しそうに閲覧していた。
「レイアウトの秘密がもっとわかる話。」
と題した音声ガイドが入り口で500円で貸し出していたのを思い出した私は、1分ほど悩んだ末、入り口まで引き返して、音声ガイドを借りに戻った。

これが正解だった。それぞれの作品の裏話や、撮影技法、アニメーション技法の補足説明などはとてもわかりやすかったし、出演者のトークが予想以上にポップで軽快、さらにBGMが作品を鮮明にフラッシュバックさせる。

柊瑠美、大人になったなーとおもった。
あとカリオストロの城のときの出演者2人のテンションのあがり方がものすごかった。
「これは宮崎監督の最高けっさk・・・うぉっほん!(咳)これ見てない人がもしいたら・・・」
「え!?これみてないひとなんているんですか!?もし観てない人がいたら、今すぐ帰って観てください」
的なくだりが面白かった。カリオストロへの愛がイヤホン越しにビシバシ伝わってきた。

BGやBOOKなどアニメーターの専門用語がたくさん登場する中で、通常のレイアウト用紙よりもひとまわり小さい用紙のことを「貧乏ビスタ」と呼んでいることに、一番ツボった。

結局すべて見終えるのに2時間かかった。
でもその時間は、とても2時間とは思えないほど早く感じた。

アニメーターたちの情熱と執念とその他諸々の思いが画から電磁波を発するが如く放たれ、それに終始打ちのめされていた。

こんな細かい仕事を決められた期間内で大勢で形にしていく作業を想像しただけでも鳥肌がたった。

彩色されていない、連続していない未完成の画がこんなにも力を持っている事に感動した。こんな不思議な気持ちになれる日は久しぶりだった。







2013年4月7日日曜日

ニコニコ動画用のエンコードに苦戦の巻

ここ数日、ニコニコ動画に投稿するため、iMovieでエンコードしてるんだど、どうもうまくいかない・・・。ビットレートとかよくわからないから勉強しなきゃ!よし今からする!

一日一日が早すぎる・・・恐ろしいよ・・・ボヘミアンラプソディが聞こえるよ・・・
最近YOUTUBEに松野の帰省映像を上げたよ。作ってたらなんかよくわからないことになっていくんだよ。こわいねー。

うちの母はもう結構いい年なんだけど、心は17歳くらいで止まってるんだ。
食べてるときと寝てるとき以外はずっとしゃべってるから、すごいとおもうよ。

http://www.youtube.com/watch?v=ThJ97Cd-XmU

2013年3月22日金曜日

大人ミッフゥー第5話「ミカ」

本当に大切なものを知ったとき、
私の生きている意味を知る。

大人ミッフゥー第4話「おしごと2」

「プロフェッショナル」
仕事するときに必ず決めてる事。
せっかくするんだったら、同じ時間使うなら、
最高を目指す。

2013年3月20日水曜日

大人ミッフゥー第3話「おしごと」

「人を元気にする職業」という枠組みでは、
アイドルもミッフゥーちゃんも
同じではないだろうか。


大人ミッフゥー第2話「まほうのかみ」

大体のものはお金で買えるってわかってるからこそ、
お金で買えないものの大切さを知っているのかも。

大人ミッフゥー第1話「ミッフゥーちゃん」


「いろんなことを割り切ることで大人になっていくんだよ」
とミッフゥーちゃんは言います。

大切なものを守るためなら、なんだってできる。
その覚悟が彼女の魅力。