2013年5月10日金曜日

POP脳

最近動画を数本UPしていて思ったけど、自分の表情って自分が思っているより暗い。そもそも最初は自分で撮影してUPすることに緊張して、まともにしゃべれなかった。最近は少しなれてきたけど、それでもまだ自分が理想とする表情を画に出せていない。

ユーチューバーのみなさんを観ていて率直にすごいと思うのは、画の向こうの視聴者を意識してちゃんと伝えようとする「表情」ができている。生まれ変わったらジャニーズになって、ハニカんだだけでみんなにシアワセを提供できる爽やかさが欲しい。もしくはナオトインティライミみたいに春風のような愛を歌って、人々の心に癒しを届けたい。

ここ数日「POP脳」になりたいと思う日々が続いている。「POP脳」とは、自分の中での定義では、「自分が創作する(したい)ことが大衆の興味と一致して、自然と(無理なく)アウトプットされる脳」のこと。(ここで「POP」は「大衆に親しまれる」という意味合いとする。)
たとえば、すげーいい曲が浮かんだ!といって発表したら、その曲が5000万人くらいの共感を呼び、その人たちの青春の1ページに刻まれ、カラオケで歌われるたびに思い出の引き出し的役割を担うくらいになる。そういう創作ができたら単純に自分も含めてみんな幸せを共有できる(錯覚だとしても)瞬間が訪れる。

大衆と感動を共感する事だけが創作者の歓喜であるのかといわれたらそれはもちろん違うが、松野はそうなりたいと思っている。しかし松野の想像(創造)するコンテンツは、わかりにくい。POPとは「わかりやすさ」とも定義したい。わかりやすさに固執する現代日本の傾向はイヤだけど、自分自身がもう少しPOPさをインプットしなければ、多くの人に観てももらえない。アイドルやハリウッドに憧れる理由もそういうことなんだとおもう。キラキラした突き抜けたPOPを表現したいという理想と、混沌幻想悪魔的思想という現実との終わりなき葛藤は今日も続いている>>>

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