2015年11月10日火曜日

東京2015秋

2015.11.6(金)

大嶺さんと東京に行こうと決めたのは、
10月の初め。
あっという間にこの日が来た。
当初色々計画しようと考えていたが、
何も決めないで行くことにした。

前日に私の家に宿泊していた大嶺さんと
5:00起きで那覇へ。



弁当屋でおにぎりを買い腹ごしらえ。
空港へは大嶺さんの父が送迎してくれた。


8:30
空港レストランのオリオンビールで乾杯。
大嶺さんは2杯飲む。
泡盛「瑞泉」をお土産だと称し購入するも、
搭乗前に飲み始める。


「いろはす」と混ぜて、水割りを作り搭乗。
機内は窓際から、大嶺さん、私、痩せたアメリカ青年。
飛行機の中でもアサヒの缶を2本飲む。
おしっこが近くなり、計3回トイレに行く大嶺さん。
その度に寝てるアメリカ人を起こして、
「sorry,toilet.」と伝える私。

12:30
成田空港第3ターミナル。
お酒が切れ、少しだるそうな大嶺さん。
かつて大嶺さんが千葉で働いていた暗黒時代のことを聞きながら、
思い出の地を辿ることにした。


まず東成田駅。
かつて成田空港駅として栄えていた頃は、
全世界からたくさんの人が利用していたはずだ。

駅の入り口に立っている警備員は我々に「お疲れ様です」という。
つまりここを利用するのは空港周辺で働く労働者しかいないということだ。
閑散とした改札口は廃墟のようにうら寂しい。


東成田駅から成田空港に行ける地下通路が
400mくらいの直線。


まるで荒廃した未来都市に迷い込んだようだった。




ホームに降りるとさらにびっくりした。
巨大な2本のホームの奥側は使われておらず、
暗闇にうっすら見えるそれは、
時間が止まった当時のままの姿だった。

「なりたくうこう」と書かれた看板が奥にある

一時間に一本しか通ってない電車に飛び乗って東京を目指す。


関東平野が目の前に悠然と広がる。


どこまでも続く田んぼと畦道。
田を焼く煙、背の高い杉林、日本家屋、ススキ。
この景色が自然への畏怖だ。
人は全くと言っていいほど歩いていない。
心が洗われるようだった。
日本の秋を身体中で感じた。


大きな河を渡ると、都内に入った。
四角い塊がひしめき合う景色へと一転した。

16:30
上野駅着。
山下清がバイトしていたという駅中の立ち食いそばを食う。

信じられないボリュームの唐揚げそば

大嶺さんのアイフォンを充電するべくスタバへ。
しかし30分充電しても電源が入らず故障したと判断し、
秋葉原へ向かう。
昭和通り口から修理屋へ。
5分で治った。
旅にアクシデントはつきものだ。

阿部と電気街口で合流。
中央口で中澤と合流。


両国のちゃんこ屋に行き、
ちゃんこ鍋を食う。

白子ポン酢もホタルイカも刺身もドジョウも
日本酒も何もかも美味かった。


中澤が4人分のほとんどをご馳走してくれた。
本当にありがとう・・・。
その後、文京区の龍太宅へ。

講談社の近くだった

龍太と久しぶりの再会。
実に6年ぶりくらいである。
4時まで語って4人で寝た。
大嶺さんが夜中「寒い・・・」と言っていた。
東京の夜は冷える。


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