2014年1月24日金曜日

映画「ヒミズ」観た

(ネタバレ注意!)

原作マンガの「ヒミズ」を観たのは4年前。
読み終わってパタッと本を閉じた後、
ショックでしばらく動けなかったことを覚えてる。
それくらい衝撃的なラストシーンだった。

「ヒミズ」が園子温監督によって映画化されたのは2012年。
撮影直前に東日本大震災が発生したため、
監督は台本を大幅に変更したらしい。
「震災後の日本」を舞台に、
映像にもストーリーにも震災が絡んでくる。

※そもそも「ヒミズ」とはモグラ科のほ乳類。
「ヒミズ」という和名は、「日見ず」から由来しているらしい。

映画『ヒミズ』予告編

ボート屋の息子である住田は、
クソみたいな両親によって生活をめちゃくちゃにされる。
普通に生きたいと願う気持ちとは裏腹に、
どんどん深い闇に心を吸い込まれていく。
クラスメイトである茶沢は住田を心配し、
彼を救おうと奔走する・・・

まず初めに断っておかなければいけないのは、
この映画は戯曲であるということ。
ネットのレビューで
「アングラ芝居好きの小劇団の舞台を観ているようだ」
というような表現があったが、上手い表現だなぁと思った。
私も冒頭の茶沢の語りからそれを感じた
けど途中から、そう演出するには何らかの意図があると感じた。

映画を観る前(見終わった後でもいいが)に、
予告編を観たり、
監督の関連作品をチェックしたり、
出演者を洗ったりすることも一興だが、
それ以外にも、
この作品がどういう時代に作られ、
そのときどんな事件がこの作品に影響を与えたのか
(逆にその作品が他にどういう影響を与えたのか)を
調べることも作品の深みを知る手段であり、
楽しみ方の一つ。

そこをふまえて観れば、
「ぜんぜん原作と違うじゃん」
「ラスト違うし」
とかいう短絡的な解釈じゃなくて、
少し俯瞰した目線で観れるかもしれない。

ストーリー展開においては、
監督の葛藤をかなり感じた。
園子温監督なら全てを突っぱねて、
絶望を思いっきり主人公にぶつける表現は十八番なはずなのに
この映画ではそれをしなかった。

二階堂ふみ演じる茶沢を太陽のような明るさにすることで、
住田を最期まで追いつめなかった。
茶沢は希望の光として舞台脇から、常に住田を照らし続ける。
住田を慕う夜野ほかホームレス勢もそうだ。
物語の随所に希望がちりばめられている。

命を繋ぎ、明日へつなげるラストにする為に。

原作と違って「住田にしか見えない怪物」は出てこないが、
暗いシーンになるとオドロオドロしいBGMが「ゴォォォォ」と流れる。
この轟音でうちのボロいブラウン管がガタガタ揺れた。
TVバラバラになるんじゃないかと心配になった。

窪塚洋介でたとき「おっ!」と思った。
その後すぐ吉高由里子でたとき『探偵は〜』のとき同様、
「おお!」とテンション上がった。
がしかし、
今回も吉高さん超チョイ役。
・・・もう『蛇にピアス』観よう(しょぼん)

もし、震災が起きていなければ
この作品はどういう仕上がりになっていたのだろうか。
それは大きくいえば、
「震災が起きていない日本」ということになる。
それは二度と観ることはできない。
しかし、震災が人の心情をも揺るがし、
変質した「映画 ヒミズ」を偶然にも私たちは観ることができた。

「そこに広がっているのは作り物のセットではなく、
現実に突きつけられた絶望そのもの」
オープニングとラストに瓦礫となった街を淡々と映しているショットは、
監督の心情そのものだと思う。

物語の「光」である茶沢がラストシーンに叫んだ
「夢を持て!この世でたった一つの花よ!」という台詞は
住田に向けて、被災者に向けて、そして日本に向けて放ったメッセージ。

東日本大震災から早3年が経とうとしている。
これから3月11日の震災発生日までTVでは特番など流れるだろう。
そんな中、
フィクション映画として
震災を表現したこの作品
一見していて損はないと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿